日本においてSRHRを推し進める意義とは?〜国立社会保障・人口問題研究所 林玲子さん
INTERVIEW
(Release)2025年12月19日
SRHR(性と生殖に関する健康と権利)を日本でどのように広めていけばいいか。SRHR for Japanキャンペーン を推進するプラン・インターナショナルの長島美紀が、国立社会保障・人口問題研究所の林玲子所長と対談しました。

人口・ジェンダーに関する課題と争点
長島美紀(以下、長島):本日は、人口問題やジェンダーの観点からSRHRについて林さんにお話を伺いたいと思います。
林玲子(以下、林):私の名刺にSDGsのロゴがついていますが、最近はこの名刺だと「特別な人」と思われるかもしれないですね。なぜかというと、トランプ・米大統領がSDGsに反対でしょう。驚くべきことですが、日本でも政治家や一般の企業の方で、公然とSGDsを揶揄(やゆ)する人も見られるようになってきました。それからトランプ大統領は、個人のジェンダーの問題よりも、家族の価値を重んじています。その影響で、「あ、やっぱりそう思っていたんだ。僕も私も」っていう人がすごく増えている気がしますね。日本で保守系の人々のなかには、「やっぱり家族が重要」という考えはずっとありますし。
長島: 確かにそうですね。林先生が整理してくださった表を見ると、考え方の違いが整理しやすいです。

林:人口問題とジェンダーの問題の争点の構造は同じです。家族よりも個人を重視し、性教育は学校で担い、多様な性があり、多様な家族があるというのが人権派です。西欧、北欧や民主党政権の米国、アフリカでは、南アフリカやチュニシアが該当します。保守派は、個人よりも家族、性教育は家庭で、性別は男と女、夫婦は男と女の組み合わせであると考えます。ロシアやイラン、湾岸アラブ諸国、バチカン、及びカトリック教国、ラテンアメリカ、フィリピン、南アフリカやチュニジアを除くアフリカ諸国、共和党政権の米国がそれに当たりますね。中絶についての議論では、立場によって重視するポイントが異なります。人権派の人々にとって中絶は女性が自分自身の体と未来を選択する権利です。一方、保守派の人々は、受精した時点から人の命が生まれる、それを中絶するのは殺人であると捉えます。こうしたなか、プランは日本でどのようにSRHRを広めていくのですか?

「生命(いのち)の安全教育」が果たす役割
長島:現在、日本全国の学校では「生命(いのち)の安全教育」が行われています。これは、性暴力の被害者にも加害者にもならないために、年齢に応じて学ぶ授業です。小学校一年生だったらプライベートゾーンについて学び、「自分が嫌なことは相手にもしない」「嫌なことは嫌と言っていい」とか、コミュニケーションも含めて段階的に学んでいきます。というのも、昨今子どもたちは性に関する情報をインターネットで得るようになって、それが低年齢化している。情報が氾濫している中で正しい知識を与えることには、誰もが賛成しています。
林:それはSRHRの向上にも繋がりますね。
長島:そうですね。ユネスコをはじめとする複数の国連機関が推奨する「包括的性教育」について、「日本の伝統的な道徳への配慮が十分ではない」と指摘されることがあります。道徳というのは、日本の社会風土に合った家族観であるとか、人とのコミュニケーションの取り方でしょうか。例えば、子どもを持つのであれば、結婚をして夫と妻になった上で妊娠をして産むべきだと考えていて、そのために知識が必要だというとらえ方です。
伝統的価値観を新たな視点で見直す試み
林:確かに、結婚という概念はSRHRの中には無いですね。婚外子が増えている欧米を見てみると、フランスは6割ぐらいが婚外子です。西欧の人たちが中心になって作られた包括的性教育ガイドラインには、日本やアジアの家族観は含まれないということでしょう。欧州では1970年代に「婚外子の法的地位に関する欧州条約」ができて婚外子の法的地位を嫡出子(法律上の婚姻関係にある男女間に生まれた子)と同等にし、差別が撤廃されるようになってから、婚外子出生割合が増えていきました。日本の場合、非嫡出子(法律上の婚姻関係にない男女間に生まれた子)の法定相続分が嫡出子の半分になるという規定は、2013年の民法改正で廃止となり、婚外子への差別は無くなりましたが、なぜか出生届にあった嫡出・非嫡出のチェックボックスは削除されず、その後も婚外子出生数は増えていないので、明治から昭和にかけて作られた社会規範が変わっていないというのが根底の原因にあるのではないかと思いますね。
長島:性教育の中に「結婚して家族を作り子どもを生む」といういわゆる「標準のライフプラン」を入れることについては、慎重に検討すべきですよね。最近、プレコンセプションケア(妊娠を望む人の将来の妊娠、出産を踏まえた健康管理)が広がっていますが、それにも結婚という概念は入っていません。
安倍政権の頃に成長戦略の一環として提唱された「3年間赤ちゃん抱き放題」や、少子化対策として提案された「女性手帳」というものに対して、「女性の生き方の選択に国が干渉すべきではない」という反発が広がりました。同様に、プレコンセプションケアについても、その重要性を認めつつ、適切な人権意識やSRHRへの理解を欠いた形で導入・実施されると、少子化対策としての側面ばかりが強調され、個人の選択を脅かすのではないかと懸念する声があります。
たとえば、SNS上ではある地方自治体によるプレコンセプションケアの啓発冊子が炎上しました。そこでは、年齢によって妊娠・出産が難しくなることを伝える目的で、35歳の卵子を高齢者のように描いたり、そこに向かう精子を「熟女キラー」と表現したりするなど、ユーモアに見せかけた“脅し”のような内容が批判の対象となりました。このような事例は、啓発や教育の形を取っていても、個人の生き方を一方的な価値観で誘導する危うさがあることを示しています。
とはいえ、人工授精を含む不妊治療の助成金(保険適用)の年齢制限があることを知っているのと知らないのでは、だいぶ違いますよね。プレコンセクションケアを通じてきちんと知識を教えるのは必要だけど、出産の権利という観点からは、結婚について言ってはいけないという状況なんですね。

林:今までのSRHRの概念を超えて、我が国におけるSRHRのキャンペーンで結婚をどう考えるかというのは新しい視点かもしれません。若い人の座談会を開いてみてはどうですか?
私はアジアによく行くのですが、結婚しても子どもは欲しくないとか、子どもは一人でいいという人が増えていますね。UNFPA(国連人口基金)が作成した今年の世界人口白書の中にある世界6カ国を対象とした出生の希望についてアンケートの中でも、「そもそももうお付き合いもしたくないし、お付き合いしても子どもを持ちたくない」という考えが広がってきていることが見て取れます。
SRHR for JAPANキャンペーンを、今の日本で展開する意義とは?
林:ところで、今このタイミングでプランはなぜSRHRのキャンペーンをすることにしたのですか?
長島:プランが、女の子や若い女性に対してリーダーシップ教育や経済的自立の支援をしていくなかで、SRHRが十分に達成されてないことを課題に感じていました。その中で、産む、産まないを含め、自分の人生を自分で決めることができることが必要だと。避妊方法について正確な知識が浸透していないなど、たくさんの問題が残っています。何より、日本の女の子たちは海外に比べて自己効力感が著しく低い。SRHRは本来、一人ひとりが自分の心と身体について正しい情報にアクセスし、自分の意志で人生を選び決定できる権利です。SRHRの推進によって日本の女の子たちが自分を大切に思えるようになってほしいと考えています。
林:SDGsでは、性に関する情報教育を保証することを目標に掲げています。2015年の少子化社会対策大綱では、対策のひとつとして、学校教育の段階からの妊娠・出産等に関する医学的・科学的に正しい知識の教育の提供をあげました。背景には、大規模な国際調査で、日本は妊娠・出産に関する医学的科学的な正しい知識を持っている人の割合が非常に低いことが判明したことがあります。この2015年の大綱は評価が行われているのですが、その中でこの性に関する情報に関する指標はアップデートされておらず、進歩があったのかどうかは不明な状況です。今後、フォローアップしないといけないですね。
例えばドイツの人と話していて包括的性教育をやっているかと尋ねたら、「当たり前だよ」って。「昔からずっと男女一緒にやっている」と。日本ではまだ、教育が足りないんでしょうね。学校教育って外からはわかりにくいうえに、先生の過重労働の問題もありますし……。

外部専門家やカウンセリングによるサポート強化が急務
長島:2年前に文部科学省とこども家庭庁が全国の学校に、外部の専門家、医者や助産師たちを外部講師として呼ぶことが可能であるとの通知を出しました。
林:でも、学校が外部講師を呼ぶか呼ばないかによって、子どもたちのアクセスに格差が生じてしまいますよね。この問題を解決するために、プランはどのようなオプションを想定していますか。
長島:1万人の若者を対象に行った調査では、10代の約7割は「性に関する知識を学びたい」と答えていました。そして、「学校の授業では不⼗分」という意見もありました。また「性に関する悩みや不安を相談できる窓⼝を知らない」という声もたくさんありました。
林:日本家族計画協会のようなカウンセリングサービスをより広く提供しないといけませんね。皆が駆け込めるようにね。
長島:発達段階に応じてすべての子どもたちにきちんと情報を届けるために、学習指導要領にも入れることが大切だと考えています。高校生の保護者に対するアンケートからは、「性教育を学校でしてほしい」、ただ「何を教えているかは知りたい」という状況が見えてきました。
林:保護者の不安を払拭するというのも、必要な視点ですね。SRHRの中で性教育は一つの要素ですよね。子ども、若者に必要な知識を届けるっていうところが、まだ足りないのではないでしょうか。これからは、信頼できる情報を提供するAIを作って、キャラクターが子どもたちに語りかける――というのでもいいかもしれません。 正しい知識を持った若い人たちは、自己効力感を持つことができ、責任を持って自己決定できますよね。
林玲子
国立社会保障・人口問題研究所所長 東京大学保健学士・修士、東京大学工学士(建築)、パリ大学修士、政策研究大学院大学博士(政策研究)。 セネガル保健省大臣官房技術顧問、東京大学GCOE「都市空間の持続再生学の展開」特任講師、国立社会保障・人口問題研究所国際関係部長、副所長を経て2024年より現職。健康と長寿、国内・国際人口移動、人口と開発、人口政策等に関わる研究を行っている。 アジア人口学会会長(2022-2024)、国際人口学会副会長(2025-2028)、厚生労働省社会保障審議会統計分科会疾病・障害及び死因分類部会員、生活機能分類専門委員会委員、内閣官房外国人との秩序ある共生社会の実現のための有識者会議座長、 国連人口開発委員会政府代表団員などを務める。

